STORY

青空まであと一歩 第三話 / 叶探偵事件file

いずれ星へと手が届き

人工の夜空に光が舞う。
夏の空から秋の星、冬の輝きと春のきらめき。
四季折々に移ろう星々の営みを背に負って、叶探偵はひどく静かな面持ちで立ち尽くしていた。
嵐と雨雲に覆われたことのない、プラネタリウムの星を見上げて。
扉を開いて現れた【後藤】と【白崎羅々】は不思議そうに目を瞬かせた。二人分の疑念に答えるため、叶探偵は落ち着いた口調で語り始める。
「今日は貸し切りだよ。捜査のためと無理を言ったんだ」
「さっすが名探偵、やることのスケール違いますね!」
「……いいから、あんたはそのクレープを食べきりなさい……」
呆れたように呻く後藤に目を向け、叶探偵の口元に微笑みが浮かぶ。二人とも、探偵の曖昧な表情など見慣れたものだが、星明かりの下では不思議と嘘の気配を感じてしまった。何故かはわからない──叶探偵が本当に嘘をつこうと思ったのなら、誰にも見破る術などないというのに。
何があったのかを問いかけようとした刹那、プラネタリウムの扉が開かれた。服に滴る雫を手で払いのけながら、【佐波里玄盛】と【ひな】が姿を現す。
「あ、ほら、やっぱりいましたよ! 間違いなく叶探偵です。今度は私の言ったとおりでしょう!?」
「いや、別に疑っちゃおらんかったが……ああそうだ、探偵さん。あんたが気にしてた古本屋だがな。遙ちゃんが取り寄せを頼んでた絵本があったぞ。作者は虹村悠。遙ちゃんの、お父さんだ」
「……そうか。わかったよ──ありがとう、佐波里さん。ひなさんも、よくここまで来てくれたね。人違いなどしなかったかい?」
温度を感じさせない笑顔で告げて、叶探偵はひどく緩やかな動作で右手を高く掲げた。指揮棒のように振り上げた腕は夜の天頂を指して、降り来る星の輝きを掴む。
夜空を見上げた臨時助手達へと予言するように、叶探偵は感情を削いだ声で呟いた──地上に降り注ぐ星明かりは全て、遙か過去に死に絶えた瞬間のものだと。
困惑する助手達に一瞥を投げかけ、探偵はぱちりと指を弾いた。同時に無数の星が夜空を埋め尽くす──本来ならば同時に見えるはずのない星までもが映し出され、プラネタリウムは目映い輝きで満たされた。
昼間のように明るくなった館内に、再び扉の軋む音が響く。
通常の営業ではあり得ない光景を目の当たりにしながら、【千明聡彰】はしかし落ち着き払った様子で歩みを進めた。叶探偵と相対する位置で立ち止まると、懐から白猫の写真を取り出す。
千明は数秒何を言うべきか迷ったようだったが、意を決して口を開いた。
「……サンモールの喫茶店に行って、話を聞いてきました。エルちゃんを見かけたって人がいたんです」
「そうか。猫は喫茶店にまで行っていたのか……その目撃者は何と言っていたんだい?」
「──何かに焦がれるような、必死な目をしていたと。その人は──家族に先立たれた自分とエルちゃんとを重ね合わせているようでした。叶探偵……『それはまだ語るべきときではない』なんて言わないでくださいよ。あなた、何を知ってるんですか?」
「残念ながら、私は既に知っていることしか知らないよ。真実に近いのは君達の方だ」
「──私達が、何を知ってるんですかぁ?」
のんびりと語尾を伸ばして。
猫柄のシャツを着た四十代の女性──【夜宮美子】が、いつの間にか助手達の輪に交じっていた。驚いて身を離す千明の代わりと言うように、【中村善次郎】が探偵の前に立つ。
「……公園の清掃員は、エルの姿は見てないって言ってたよ。他の人達も同じだったんじゃないかな」
「パフォーマーさんにも話を聞きましたけど、白猫は見てないって言ってました」
善次郎の背後から滑るように現れた【桂木理久】が呟く。
助手達は互いに顔を見合わせた。幾つもの手がかりを見出し、人々から話を聞き出して、それでも肝心の白猫を見つけるどころか影を踏むことさえできていない。調べるほどに近付いているはずだと信じる心も虚しかった。
嵐が来る。
轟雷──地響きのような音が、館内にまで飛び込んできた。
まだ雨の勢いは増していない。だがそれも時間の問題だった。黒雲は空を塞ぎ、生ぬるく湿った風が吹き付け始めている。遠からず雨が全てを流し去るだろう──残された者の願い、最後に残した祈りまでも。
「……叶探偵。あなたの姿を見ました──」
──あなたは、公園を訪れていましたよね。
足音もなく──息遣いは穏やかに。
【蒼井夏空】が、プラネタリウムへと踏み込んでくる。その双眸には意志が宿っていた──この場に立つ全ての者達と同じ意志を。
「何を知っているんですか。いえ、何で猫探しの依頼なんて受けたんですか。あなたほどの名探偵が、ペット探しに手を貸したのは──」
「──青色喫茶Ozにまつわる噂話を知っているかい、親愛なる友人達よ」
蒼井の言葉を遮り──けれど拒絶を滲ませることなく。
叶探偵は緩やかに話し始める。
「……ここではないどこかへと繋がってしまうのだという。一人の少女がオズの国へと迷い込んでしまったようにね──」
──曰く、古代の大陸に似た不可思議の国へと繋がり。
──曰く、人に紛れ込む恐ろしい狼が跋扈する夜へと繋がり。
「……そして、時に生と死の狭間を踏み越えることさえある。君達はこう聞いたね──私は何を知っているのかと。ならば答えよう。依頼を受けたあの日、私と虹村遙は並んで座っていた。けれど店員の青木君は『私にだけコーヒーを出した』のだよ」
助手達が息を呑んだ。
ある者は困惑を。ある者は悲嘆をその瞳に浮かべる。
「青木君は優秀だ。そして優しい心の持ち主でもある。無料サービスはしないかもしれないが、『座っている子供に声もかけず、オーダーを尋ねもしない』などということはあり得ない。そして──君達が訪れる直前まで、私は虹村遙と話していた。だが君達は『虹村遙とすれ違ってもいない』……そうだろう?」
声を投げかけた先。
開け放たれた扉の向こう側に、【北楯さくら】と【白井花】が立っている。
雨に濡れたさくらと、傘を携えた花。頬を伝う雫を拭うこともせず、さくらは震える声で話し始める。
「……近所の人に、話を聞いてきました。エルちゃんが家から抜け出して、歳も歳だから心配だって……でもそれを、遙ちゃんが知ってるはずがないって──」
「──エルちゃんがいなくなった頃には。遙ちゃんは、心臓の病気で、亡くなっていたからって……!」
二人の言葉を、その場にいる誰もが否定しなかった。
叶探偵の告白。
助手達が調べてきた全ての事実。
中野の街中で得られた証言、白猫の目撃情報、静まりかえった虹村家の様子──何もかもが訴えているのだ。
さくらと花の言葉は真実なのだと。
虹村遙は──ただ一匹の猫を助けるためだけに、青色喫茶の扉を越えてやってきたのだ。
「……生と死を分かつ境界線。その扉を越えるためにどれだけの勇気が必要となるのか、想像もできないね。かつて自分が見ていた景色。触れていた空気。もう二度と手が届くことのない、愛していた人達……その全てに向き合うことが、どれだけ恐ろしいか」
探偵の放つ言葉に、全員の鼓動が早鐘を打つ。嵐がもたらす雷の轟音も、今は不思議と気にならなかった。雨に濡れた体を奮い立たせ、光に満ちたプラネタリウムの中で互いの瞳を見詰める。
時間などというものは、いざ流れてしまえばあっけないものだ。何を尋ねるべきかもまだわからないままだというのに、気が付けばやるべきことだけが目の前に積み上げられる。
どれだけ思い悩んだところで、時は過ぎ去るのだ。あっけないほどに速く。追いつけないほど残酷に。
けれど──取り返しのつかないことなど、決してないのだと叫ぶように。
助手達は、それぞれが宿した意志を確かめ合う。
諦めない。
絶望しない。
変化に向き合う──何もかもが移り行き、消え去ってしまうのだとしても。
天を埋め尽くす光が、死の間際に放たれた最後の祈りなのだとしても。
彼らの意志はただ一つに定まっていた。
虹村遙から託された想いを、途絶えさせてはいけないのだと。
「──遙か虹の彼方から、一人の少女がやってきた。昨日の願いを託してくれた。ならば私達はこう答えよう──遠き明日へと響かせるのは、ハッピーエンドの足音であるべきだと!」
──エルは恐らく、少女の足跡を辿っている──。
「──白猫は虹村遙の足跡を辿り、追想の旅を続けているんだ。途中で終わりにさせるわけにはいかない……これが最後の依頼だ、探偵諸君! エルが旅の終着点に選ぶだろう場所を探し出し、そして──」
──助けよう。
命がまだ、繋がっているのだから。
探偵が静かに締めくくると同時に──助手達は、一斉にプラネタリウムから飛び出していく。
少女の願いに応えるために。
繋がれた命を、守り抜くために──。

担当:佐賀屋火花

――Ozの世界へようこそ。
依頼文は、青色喫茶Ozの掲示板に貼り出してありますよ。
ぜひ、あなたのお力をお貸しください。
あなたの一言で、Ozの世界は変わってゆきます。その未来を見たければ、またここを訪れてみてくださいね。