マッドハッター『なんにもない日』

月に一度の面談を終えた的場太一の心は、冬の太陽のように温かく、夏の月のように威厳を持って輝いていた。

心療内科から処方される薬も、日を追うごとに量が少なくなっていった。
先日、ついに、いつまでも絶対に手放せないと思っていた強力な抗うつ剤を、「処方の必要なし」と医者から診断されて、受け取らずに済むまでに快復していた。
胸を張り、上を向いて歩く世界は何もかもが輝いて見えた。

仕事に追われ、上司と部下の板挟みにあって、……もうダメだ、死ぬしか道がないと絶望していた。
しかし、実際はどうだ。薬の副作用で幻覚を見ていたとき、――そのほとんどを忘れてしまったが、誰かが、自分に新しい道を示してくれたような気がする。
何が正解だとか、どれが間違っているとか、そんなものに囚われる必要はない。結局は自分の気持ち次第で、未来は無限に広がっていくのだと、誰かに背中を押されたのだ。

この世に特別なものなんて、なにもない。あるのはただ、「なんでもない」もの。
そして、なんでもないものにどれだけ価値を見出せるかが、この、幸せに満ちあふれた世界で楽しく、愉快に、面白く生きていく原動力になるのだと気づいたのだ。

昨日までの自分が嘘だったかのように、晴れ晴れとした気持ちで空を見上げる。
今日はなんでもない日。けれども、自分が生まれ変わった特別な日。

自分に勇気をくれたのは誰だったか。
大事なことは忘れてしまった。
明日あすにも似た、眩しい何かだったような。特別なものなんてないようで、それでも自分にとっては特別なものだったような。
熱い涙が頬をつたう。
でも、前に進むことはできる。

一匹の白い蝶がそばに降り立ち、軽やかなステップを踏んで、太陽を目指して羽ばたいていった。

END

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