イモムシ『ABCから始めよう』

私の特別なミッションは終わった。

あの惑星で身体を原子と分子のレベルまで分解され、意識のみの存在となってさまよった不思議な体験から、早くも数日が経過していた。

メディカルカプセルの中で目を覚まし、何重にも健康チェックを受けたが、とくに異状は見当たらなかった。
明日からまた退屈で刺激の少ない、答えが分かっている研究を続けなくてはならないかと考えると、憂鬱な気持ちになる。

しかし、と、微笑む。
――夢を見ていたのか、それとも現実だったのか、今となっては証明する手段もないし、そうする必要もないと思ってはいるが、あのとき、あの世界で出会った何者かの目は子どものように輝いていた。
分からないことを「分からない」と言い、知らないことを「教えて」と言う。自分が「お前の言うことは何から何まで間違っている」と罵倒しても、決してひるまず「だったら、こういうのはどう?」と別の案をすぐに出してきた。

久しく忘れていた感情だと思った。
むかしは自分もそうだった。
分からないことを「知らない、分からない、なぜ?」と周りの大人たちにぶつけて煙たがられていた。
だから全部自分で調べた。
その結果……誰かと対話して答えを見つける楽しみを失ってしまった。
答えの分かっている質問。科学的に解明されてしまった不思議。
自分は知識を増やしすぎて、この世のすべてに飽きていた。何を見ても答えが分かるつもりでいた。

でも、……今は思い出せない、誰かが教えてくれた。
知らないことを知らないままにしないこと。
知っていることを疑うこと。
たったこれだけの心構えで、人生はなんと豊かに、面白くなることか!
つまらないはずだった研究も、この想いを抱き続ければ、まったく違ったものになる。

なぜかこぼれた一筋の涙を、彼は袖でぬぐって歩き始める。
年甲斐もなく口笛をふき、軽やかな足取りで歩き始めた彼の後ろを、とっくに絶滅したはずの白い蝶が羽ばたいているのを、助手が目を丸くして見ていた。

END

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