【マダミスブース2026春限定シナリオ】魔女の針を知ってる?/後半ストーリー
魔女の針を知ってる?
このまま何もせずに立ち去ってしまえば、あとで必ず後悔するような気がした。
手元にあるカードに視線を落とす。
《魔女の針を知ってる?》
意味は分からない。誰が書いたのかも分からない。それなのに、不思議と頭から離れない。
視線を上げると、マーダーミステリーブースは相変わらず賑やかだった。
作品を手に取る人がいたり、スタッフへ質問している人がいたり。
友人同士で相談しながら棚を見て回っている人も大勢いて、時間によっての違いはあれど、いつでも来訪者やスタッフの活気あふれるスペースだ。
普段なら何も気にしなかったはずの光景だが、今は違う。
なぜだか、その中で誰かを探している自分がいた。
何を探しているのかは、自分でも分からない。
ふと、少し離れた場所にいる来場者の手元へ目が吸い寄せられた。名刺ほどの大きさの白い紙片に、思わず足が止まる。向こうもまた、こちらを見ていた。正確には、自分と同じようにこちらの手元を見ていた。声を、かけるべきだろうか。……だが、何と言えばいいのだろう。
「魔女の針を知っていますか。」……そんなことを突然聞かれても困るだけだ。
迷っているうちに、その人は群衆の流れへと紛れていく。
……もしかして、今の人も同じだったのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、また別の場所で似たようなカードが目に入る。1人ではない。2人、3人……会場のあちこちに、同じような紙片を持っている人がいるように見えた。
それぞれ離れた場所にいる。誰かと話している人もいる。1人で棚を眺めている人もいる。
けれど時折、自分が気になった人たちもこちらを見るのだ。そして、その視線は決まってカードへ落ちる。誰も声をかけない。誰も立ち去らない。
ただ互いの存在だけを意識しているような、切り出すのを迷っている時間が流れた。
「…………もしかして」
その何とも言えない一種の気まずさを振り切ってくれたのは、誰の声だったか。
「それ、同じやつですか?」
その言葉が呼び水になり、止まっていた何かが、やっと少しだけ動き始める。最初に話し始めた2人に3人目が加わり、さらにその会話を聞いていた人が近づいてくる。
断片を見せ合い、話し始める人たちの横で黙ったまま耳を傾けている人も……気づけば小さな輪がいくつも生まれていた。
自分たちが集まってできた不思議な輪の内側だけ、ほんの少し静寂が生まれたように感じる。自分たちの体を境にして、外側――ゲームマーケットの会場は相変わらず賑やかだ。スタッフの呼び込みが盛んに聞こえ、購入した作品をたくさん抱えて歩く人も、荷物を広げて誰かを待つ人たちもいる。
その喧騒の中にいるはずなのに、自分たちだけが少し別の流れへ足を踏み入れてしまったような錯覚があった。
――それぞれが手に持った断片を突き合わせると、どうやら6種類の内容が記されているようだった。
どれもどこか似ているシチュエーションだ。昼頃のマーダーミステリーブース。同じ場所。同じような景色。そして繰り返し現れる違和感。
気づけば21人が集まっていた。知らない者同士。年齢も、ゲームマーケットへ来た理由も、好きな作品も違う。
輪の中心には、六枚の断片。
そして、それを取り囲む……。
「21人」
誰かの口から、その場に集った人数が口にされた瞬間だった。
《ああ……ここまで来てくれたのね》
不意に、耳の奥へ声が落ちてくる。
顔を上げて周囲を見回す。ここにいる全員が、”ここにいる誰でもない”声を聞いたのだ。輪の中にいた全員が、同じような表情をしている。
《この声が聞こえたのは40人ほどいたように思う》
《けれど、ここまで辿り着いてくれたのは、あなたたち21人だけみたい》
その声は歓迎しているようにも、喜んでいるような声音にも感じられる。注意深く周りを見渡しても、その声の主は自分たちの近くにはいなかった。
「……聞こえた?」
誰かが小さな声で尋ねると、各々がじっと互いを見つめながら、ゆっくりと首肯しあう。輪の中へ静かな緊張が広がっていった。
「私たちに語り掛けてくるあなたは……”魔女”?」
“魔女の針を知ってる?”という言葉は、断片にも載っていた。この断片を与えている者のことを「魔女」と称すればいいのだろうかと思うのは自然の事かもしれない。
《教えて……。あなたたちは、この断片をどう読んだの?》
誰もすぐには答えなかった。
ここへ来るまで、それぞれ違う答えを考えていた。
断片の並び順も、記録の意味も、そこにいた人物の願いも、きっと同じではない。
けれども、声の主が聞きたいのは恐らく「正解」ではない。
自分たちが何を見て、何を感じたのかを知りたがっているように思える。であれば、それぞれが感じたことをありのままに伝えていけばいいのだろうか。
少しの沈黙のあと。
21人の中から、とある1人がゆっくりと口を開く。
――それが、長い対話の始まりだった。
*****
【北楯さくら】が口火を切って全員を見渡しながら投げかける。
「まず、この6枚ってどういう順番だと解釈しましたか?」
「え? ふつうに順番通りじゃないの?」
その投げかけに、【あかり】が疑問を返す。けれどその問いを聞いて、更に他の人が首を傾げた。
「順番通り……って?」
「受け取った順番……って思ったけど」
「人によってまちまちだからな……」
「あの、いったん紹介しあってみませんか?」
【清】の一声で、まずそれぞれが断片をどういう順番だと思ったのかを伝え合うことにした。
「最初に受け取った断片は……そうね。うっすらと見えている影の円をもとに「新月」と仮称しておきましょう」
【北楯さくら】が全員に聞こえるように、6種類の断片を改めて確認する。
「新月」の断片
ひるごろ、みどりのブースは人がいっぱいで、ちょっとだけこわい。
でも、紙の話をする人たちはみんな楽しそう。まざりたいな。
勇気が出なくて遠くから見てたら、同じ場所に立ってる人がずっと動かないのに気づいた。
来るたびに見る気がするのに、いつも同じ服で変なの。
はじめてなのに、2回目みたいなことってなんだろう。
「形になりかけた記憶」の断片
昼過ぎのマダミスブース、混んでるけど回りやすい時間帯。
気になった作品をスタッフさんに聞いて、さっき同じ説明を受けた気がした。
でも相手は初めてみたいに話す。
結論まで同じなのに、途中の言い回しだけが少しずつ違うのが、なんだか落ち着かない。
同じことを話しているのに、同じじゃないの。
「見えているものは、半分だけ」の断片
正午を回った頃、この緑のブースに来ると落ち着く。
作品数が多すぎて決めきれないのも、毎回同じだ。
気になったタイトルを手に取って、また戻す。その繰り返し。
さっき戻したはずの作品が、同じ位置に戻っている気がするのに、自分が触った感覚だけが残っている。
触ったはずなのに、変わっていない。
「少しずつ近づいていく」の断片
昼の一番混む時間帯を外したつもりが、結局この時間に来てしまう。
ブースを一通り見たのに、決め手がない。
以前よりも疲れやすくなったのに、同じところを行き来している気がする。
足を止める位置まで同じで、床の小さな傷の位置まで覚えているのが気になる。
歩いているのに、進んでいない。
「ようやく、たどりつく」の断片
日が高くなる頃合い、このブースに来るのが習慣になっている。
作品はどれも魅力的だが、選ぶ気力が続かない。
それでも、同じ場所に立っていると落ち着く。
少し離れた位置に、毎回同じように立っている人がいる気がする。
距離が変わらないのに、近づいた記憶がない。
近くにいるのに、遠いままなのはなぜ。
「刻が満ちる」の断片
昼のざわめきが一番強い時間、ここに来ると時計を確認してしまう。
なぜか毎回同じ時刻に見えるのが気になっている。
気のせいかもしれないが、無視もできない。
何度か話したはずの相手が、いつも初対面の顔をする。
その人の声だけが、なぜか少し遅れて聞こえる。
何度見ても、変わらない時刻とは。
*****
――今読み上げた順が、この断片の並び順だと解釈したのは、【ほうひろ】【まみ】【シャーロット】【ゆき】【北楯さくら】そして【かっつん】。
――反対の順番だと解釈したのは、【にゃんこ魂】【あや】そして【さつき】。
「それ以外の人は?」
【シャーロット】の疑問に、残りの人たちが互いにタイミングを窺いつつ順に口を開いてく。
「最初の……新月の断片はそのまま1番目だと思ったんだけど……」
「あ、私も」「同じく」
【富樫健大】の言葉に同調する人が何人か現れる。
「自分は、新月の後は『見えているものは、半分だけ』がきて、『形になりかけた記憶』『ようやく、たどりつく』『刻が満ちる』『少しずつ近づいていく』だと思った」
なるほど、と【富樫健大】の考察に耳を傾ける人もいる中、先ほど同調したうちの1人である【清】が続ける。
「私は『新月』、『刻が満ちる』『見えているものは、半分だけ』『形になりかけた記憶』『少しずつ近づいていく』『ようやく、たどりつく』だと思った、かな」
「僕たちも似たようなものだね」
【オオツカ】と【心理捜査官大谷】が互いを見ながら語る。
「『新月』、『刻が満ちる』までは一緒だ。私は次に『形になりかけた記憶』『見えているものは、半分だけ』『少しずつ近づいていく』『ようやく、たどりつく』と読んだ」
【心理捜査官大谷】からの視線を受けて、【オオツカ】も自身の認識を告げる。
「『新月』、『刻が満ちる』、『形になりかけた記憶』、『ようやく、たどりつく』、『見えているものは、半分だけ』、『少しずつ近づいていく』」
「なるほど……他の人たちは、どれでもないみたいね?」
【ゆき】の言葉に、まだ共有していない者たちは首肯を返した。ばちりと目が合った【あかり】が話を続ける。
「あの、私はまず『形になりかけた記憶』が最初かなと思ったの」
「一緒だ」
【あかり】の言葉に、【ささのは】が思わずといった様子で声をあげた。同じことを考えた人がいることに安堵か、あるいは少しの喜びを感じた【あかり】はほんのわずか表情を綻ばせつつ続ける。
「『形になりかけた記憶』、『ようやく、たどりつく』、『刻が満ちる』、『見えているものは、半分だけ』、そして『新月』……最後が『少しずつ近づいていく』かなって」
「自分は『形になりかけた記憶』、『刻が満ちる』、『見えているものは、半分だけ』、『少しずつ近づいていく』、『ようやく、たどりつく』、最後に『新月』だと思ったな」
「いろんな捉え方があるんだなあ……」
まだ紹介していない【あ〜る】がしみじみといった様子で零した声を、近くにいた【えんどー】が拾う。
「君はどうなの?」
「自分は、まず『見えているものは、半分だけ』『新月』『刻が満ちる』『少しずつ近づいていく』『形になりかけた記憶』『ようやく、たどりつく』」
「『見えているものは、半分だけ』が最初だと思ったのは一緒かな」
「私も」
【tomosaga】【オレンジoil】が軽く手を上げる。【あ〜る】と【えんどー】の会話に差し込んだからか、いいかな? といった素振りで一度窺いを見せてから【tomosaga】は口を開いた。
「『見えているものは、半分だけ』『形になりかけた記憶』『刻が満ちる』『新月』『少しずつ近づいていく』『ようやく、たどりつく』」
「私は、『見えているものは、半分だけ』『少しずつ近づいていく』『形になりかけた記憶』『新月』『ようやく、たどりつく』『刻が満ちる』だよ」
「……まだ言ってないのは、自分たち2人だけかな」
【えんどー】は少し離れたところにいた【ウロボロス】を窺う。
「私は、『ようやく、たどりつく』『刻が満ちる』『新月』『形になりかけた記憶』『見えているものは、半分だけ』『少しずつ近づいていく』……と思った」
「本当にばらつくねえ。最後のトリいただきます! 自分は『少しずつ近づいていく』『見えているものは、半分だけ』『新月』『刻が満ちる』『形になりかけた記憶』『ようやく、たどりつく』!」
21名が各々の感じた順番を紹介し合った後、近くの人と「どうしてそう思ったの?」という会話が発生したのは当然のことだった。
「なんか……歌、みたいだったな」
「歌?」
「ほら、さっきみんなで並び順を言い合ってた時」
「ああ……」
歌詞のようにも、和歌のようなリズムにも聞こえる。同じフレーズを使っているはずなのに、解釈も意味も変わるような言葉遊び。
「それで、並び順以外になにか気になったことがある人はいない?」
雑談に逸れすぎないように修正しようとした【にゃんこ魂】の言葉に、お互いに様子を窺う。
誰が口火を切るのか、顔を見合わせた面々の中でまず沈黙を破ったのは【白羅】だった。
「……私は、最初に見つけた1枚目がずっと気になっていて」
そう言いながら「新月」の断片を持ち上げる。
「『まざりたいな。勇気が出なくて遠くから見てたら』……」
読み上げられた一文に、何人かが小さく反応した。白羅は少しだけ笑って、さらに言葉を続ける。
「これ、なんだか他人事じゃなくて。マーダーミステリーって、一緒に遊ぶ人がいて初めて触れることも多いじゃないですか」
その表情には照れくささが混じっていた。誰かが頷く。あるいは苦笑する。思い当たる節があったのだろう。
「興味はあるのに、最初の一歩がけっこう勇気いったり、ハードル高いことってあるよね」
そう応じた【あや】の声も柔らかかった。
「そうそう」
同意してくれた人が現れ、白羅は少し嬉しそうに続ける。
「だから、この子……誰かと話したかったんじゃないかなって思った」
「似たことを考えてた」
今度は【富樫健大】が声を上げる。
「マダミスとの出会いもそうだけど、友達が欲しかったのかも」
「仲間って言ってもいいかもね」
【オレンジoil】がぽつりと呟いた。
「友達って言葉でもいいし、仲間でもいい。作品って、1人でも買えるけど……遊ぶ時は誰かが必要だし」
それは当たり前の話だった。ここのブースで主に取り扱われているマーダーミステリーは人と遊ぶゲームだ。作品だけではなく、人も探していたという解釈も自然に思えた。
魔女は何も言わない。
否定も、肯定もしない。ただ静かに耳を傾けている。
「……それか、気づいてほしかった……とか」
【かっつん】がぽつりと零した。
「話したい、とは違う?」
「うん」
首を傾げて聞き返す【ささのは】に、かっつんは頷いた。
「だって、この断片を見てみて」
彼が指差したのは、「ようやく、たどりつく。」と書かれた断片だ。
特に『少し離れた位置に、毎回同じように立っている人がいる気がする。』という一節を指でなぞる。
「誰かを見てる気がするんだよね……」
見ていたのか、あるいは、見つけてほしかったのか。
「……この人? 人たち? って、この時間をどう思ってたんだろう」
困ってる、悩んでる、不安……そういった予想が口々に呟かれる。
「でもさ、じゃあ、何回もここに来ないんじゃない?」
【tomosaga】が口にした疑問に数人が呟き、それを受けて彼は言葉を続ける。
静けさがその場に降りた。
会場のざわめきが不意に大きく聞こえる。
「たぶん違う気がする。だって、何度も来てるんだよね」
【えんどー】の言葉に何人かが目を見合わせた。
「きっと自分たちと一緒でさ。ここが好きだったんだよ。このゲムマのお祭り騒ぎとか。マダミスブースの雰囲気とかがさ」
「……作品を買いたいだけじゃなくて、他の理由もあったってこと……」
それまで静かに耳を傾けていた【清】が呟く。
「……こう言っちゃ大げさかもしれないけど、現実へ戻りたくなかったとか」
「確かに。私だってこの週末が終わってほしくないもん」
「わかる~。仕事か~! って感じ」
「可能なら、ゲムマで買った後そのまま合宿とかしてワイワイ遊びたいもんね」
【あ〜る】の呟きに同意を示し、一同はしばし盛り上がる。
「なんとなくだけど。私は、誰かに見つけてほしかったんだと思った」
数人が思ったことを口にしていく流れに乗るように、【にゃんこ魂】がそっと零す。
「同じ場所に立ってる人がいる、とか。時間がおかしい、とか。何度も会う人がいる、とか……一人で抱えるには変な話だから」
「あるいは……忘れたかったのかもしれない」
それまで黙っていた【心理捜査官大谷】が口を開く。
それまでの流れとは別の推測が出てきて、彼の言葉を聞いた何人かは軽く頭を傾げた。
「誰しも、忘れたい記憶があるものだろう?」
「自分は殺人犯だがまだ逮捕されていない。まだ逃げている。
殺した相手を一日も忘れることがなく、いつも殺した瞬間を繰り返し思い出す。
マーダーミステリーブースにくると、自分が殺したのと同じ殺人をしたゲームがあり、近づきたくないが近づいてしまう。望んでいるのは、この記憶を忘れたい。そして、人を殺める前に戻りたい……」
「……っていう作品も普通にありそうだろう。さすがにこの例えは大げさだろうけれど」
「マダミスやってると、消したい過去って設定のものなんてごまんと出てくるしね」
もしかしたら、誰かに気づいてほしかったのか。
あるいは、忘れたいものがあったのか。
「……どれも違う? やっぱり別人……?」
「うーん……」
「でも、人って案外そんなもんじゃない?」
「というと?」
「嬉しいけど複雑とか、悲しいけど笑っちゃうとか……いつだって絶対に理解できる感情ばかりじゃないような……自分でもよく分かんない時あったりするし」
「いい指摘だね。実際、人の願いは案外そんなものだ。一つだけではない。時には矛盾している。自分でも整理できないまま抱えていることだってある」
【心理捜査官大谷】がそう持論を述べ、場がまとまりかけたその時。
魔女が小さく笑った気がした。
それが本当に笑ったのか、それともそう聞こえただけなのかは分からない。
会場のざわめきが遠く聞こえる。スタッフの呼び込みも、誰かの笑い声も、そのすべてが少し遠ざかり、輪の中心へ置かれた六枚の断片だけが妙な現実味を帯びている。
「もしかして、だけど……」
今までずっと黙って話を聞いていた【ゆき】が口を開きながら断片を1枚ずつ見渡した。まるで、今まで交わされた言葉を1つずつ拾い集めるように。
「この人、きっと同じ時間を繰り返してるんだと思う」
昼のマーダーミステリーブース。作品棚の前、人の流れが絶えないあの場所で、もし本当に同じ時間を繰り返しているのだとしたら。
断片の主は、どれほど長い間そこへ立ち続けていたのだろう。
「……仮に、さ」
【さつき】が、恐る恐る疑問を投げかける。
「もし本当に繰り返してるなら……どうして離れなかったんだろう」
同じ時間を繰り返す。同じ景色を見る。同じ場所へ立つ。
終わりの見えない時間。
もし自分ならばどうするだろうか。
「むしろ、待ってるように見えるんだよね」
【シャーロット】が小さく頷く。
「……会いたい人がいたのかな」
その言葉を受けて、誰かが呟く。
もし本当に、誰かを待っていたのだとしたら。
「離れられないんじゃなくて……離れたくない?」
「でも……」
【tomosaga】が口にした推測を、【あかり】が考えを巡らせながらぽつりと呟いた。
「もしそうなら……どれだけの長い時間、ずっと待ってたの……?」
魔女は何も言わない。
ただ、誰かが言葉を失うたび、その続きを待つように耳を傾けていた。
その横顔は、どこか遠い昔を思い出しているようにも見える。
「その人は……」
また、誰かが呟く。
「誰を待っていたんだろう」
少し離れた場所では、新作を手に取った人たちが賑やかに話している。
スタッフの呼び込みも聞こえるし、列へ並ぶ人の姿も見えた。
ゲームマーケットはいつも通り続いている。時間だって進んでいるはずだった。
それなのに。
断片の主だけが、まだあの場所へ立ち続けているような気がした。
同じ場所へ通い続ける理由。
同じ時間へ留まり続ける理由。
もし本当に誰かを待っていたのだとしたら、あの場所は牢獄ではなく、約束の場所だったのかもしれない。
「……そうまでして、会いたかった……のかな」
【ささのは】が少し考えるように言葉を探す。
【ウロボロス】が静かに続ける。
「それか、気づいてほしい相手がいたか……」
輪の中にいた何人かが顔を上げる。
それまでの話では、相手は漠然とした『誰か』だった。
友達か、仲間か。たまたま同じ作品を好きになった人か。
けれど、もしその相手が最初から一人だったのだとしたら。
その人に気づいてほしい。
会いたい。伝えたい。
そんな願いだったのかもしれない。
「言えなかったのかな……伝えたいこと」
【まみ】はそこで一度言葉を切り、どこか寂しそうな笑みを浮かべながら皆の顔を見まわした。
「ほら、あるじゃない。今度でいいやって思ったまま、結局言えなくなること」
誰かへ話しているようで、自分へ言い聞かせているようでもある。
その言葉は妙に現実味があった。
「……でも、じゃあ、会えたら……終わっちゃうんだよね」
輪の中が静まる。
その言葉は誰かを説得するためのものではなく、自分でも気づかないうちに辿り着いてしまった考えを、そのまま口にしただけのようだった。
誰かを待っている。
誰かへ伝えたい言葉がある。
だから同じ場所にいる。
もし、それが叶ってしまったら。
もし、本当に会えてしまったら。
その人は、その場所へ留まる理由を失ってしまう。
もし本当に会えるのなら会わせてあげたい。
けれど、その願いが叶った瞬間に終わりが訪れるのだとしたら、単純に喜んでいいものなのかは……誰にも分からなかった。
《そう》
魔女は、ただ静かに、その一言だけを囁いた。
断片の主は、誰かを待っていた。
そして、その願いが叶う日を本当に望んでいたのかもしれないし、望みながらも、同時に少しだけ恐れていたのかもしれない。
もし本当に会えるのだとしたら、その人は何を選ぶのだろう。
待ち続けることか。それとも、その先へ進むことか。
答えはまだ分からない。
もし、その人がまだ待っているのだとしたら。
呼び止めるだろうか。
それとも、何も言わず見送るだろうか。
「私は、会えるなら会ってほしい」
その声に頷く人がいる。
「私は、ちょっと迷う……」
別の誰かがそう続けた。
「その人が決めることだから」
誰も相手の答えを否定しない。
それぞれが違う景色を見ていて、それぞれ違う人を思い浮かべている。
だから答えも違っていることが自然だった。
しばらくして、魔女が小さく微笑んだ……ような気がした。
《そう……》
また、それだけだった。
誰かが断片へ視線を落とす。別の誰かが何かを言おうとして顔を上げる。
その時になって初めて、魔女の気配が霧散していることに気づく。
「……あれ?」
少し前まで確かにそこにいた感じられていたはずなのに、今となっては最初からいなかったようにも見える。
……かわりに、輪の中心には紙が一枚残されていた。
新しい断片なのか、最初からそこにあったものなのか、誰にも分からない。
そこには短く、たった一行だけ書かれている。
『ありがとう』
誰も、すぐには手を伸ばさなかった。
会場のざわめきが戻ってくる。スタッフの呼び込みが聞こえる。友人同士で笑いながら歩く人もいる。立ち止まって作品を眺めている人もいる。
ゲームマーケットは最初から変わらず続いていた。
……けれど、少しだけ違って見える。
断片に触れたからだろうか。
魔女と話したからだろうか。
それとも……誰かを待つ気持ちや、言えなかった言葉について考えたからだろうか。
理由は分からない。
それでも、行き交う人々を見ながら21人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
誰かが歩き出す。別の誰かも続く。自然とできていた輪はゆっくりほどけていき、いつしか形を失っていく。
時間は進んでいる。ずっと前から。今も、これからも。
「魔女の針」が何のためにあったのか、何のための言葉だったのか、最後まで分からないままだった。
けれど、もし意味があったのだとしたら、それは止まった時間を動かすためではなく、自分で選ぶためだったのか。
その答えだけは、誰かに決めてもらうものではないのだから。
会場のざわめきの中へ溶けるようにして、21人はそれぞれの場所へ戻っていく。
輪の中心に残された1枚の紙だけが、最後まで静かにそこにあった。
――『魔女の針を知ってる?』終
おまけ
もし、いずれかの出来事に干渉できるとするならば。
すべての物語が終わったあと。
もし、ほんの一度だけ。
あの断片のどこかへ声をかけることができるのだとしたら。
あなたたちは、どの場面に立つのだろう。
最も多かったのは、最初の断片だった。
輪の外から人々を見つめながら、「まざりたいな」と呟いていたあの場面。
【まみ】【北楯さくら】【シャーロット】【tomosaga】【清】【ほうひろ】【オレンジoil】【ウロボロス】は、それぞれの言葉でその人へ声をかけた。
大丈夫。
一緒に行こう。
話を聞いてみよう。
そんな言葉に背中を押されるように、その人は少しだけ前へ進む。
たった一歩だったけれど、その一歩を選んでほしいと願った人は多かった。
【富樫健大】と【心理捜査官大谷】が選んだのは、違和感を抱えたまま説明を聞いている場面だった。
気のせいかもしれない。
でも無視できない。
そんな感覚を否定せず、「一緒に考えよう」と隣に立つ。
答えを与えるのではなく、話を聞くための介入だった。
【えんどー】は、何度も作品を棚へ戻してしまう場面を選んだ。
「買いましょう」
その一言は、変わらない景色の中で立ち止まっていた人の背中を押した。
【あかり】と【にゃんこ魂】は、同じ場所を歩き続ける場面に現れた。
声をかける人。
足を引っかける人。
やり方は正反対だったけれど、どちらもその人を立ち止まらせるための行動だった。
【あや🍁】は、遠くにいる誰かへ近づけない場面を選ぶ。
好きな作品の話から始めればいい。
その言葉は、人と人との距離を少しだけ縮めた。
【白羅】と【オオツカ】は、時計を見続ける場面へ飛び込んだ。
時計ではなく作品を見よう。
友人と呼び、隣に立ち、一緒に話を聞く。
変わらない時間の中で、その人は初めて自分から話し始めた。
【かっつん】は、物語よりも前。
名刺を受け取った瞬間へ介入する。
「捨てない方がいいと思う」
その小さな選択が、誰かとの出会いへ繋がるかもしれないから。
そして最後。
【あ〜る】は問いかけた。
「どうして、ここにいるんですか」
そこへ【さつき】と【ゆき】も加わる。
けれど二人は何も言わない。
急かさずに見守る。
答えを待つ。
それもまた、介入のひとつだった。
もし。
あなたたちの言葉が本当に届いたのだとしたら。
あの人は少しだけ救われたのかもしれない。
止まった時間が動いたのではない。
結末が変わったわけでもない。
ただ、一人だった場所に、誰かが隣へ立った。
それだけで十分だと信じた人たちがいた。
だからきっと。
あの断片のどこかには、あなたたちが残した優しい記憶も存在している。
――『ありがとう』。
担当:繭
